anemone

ぼんやりしたり、うっかりしたり。

矯正はじめ

顎がずれている。ずっとコンプレックスだった。基本、前歯部開咬であり、その状態でなんとか咀嚼するために下顎が右にずれた状態になった。歯のサイドどうしで擦りちぎる感じね。当然顔が歪んでいる。ともさかりえさんのお口の中はどうなっているんだろうか。以前ライブハウスの店長に「ある一方向から見たら美人」と言われたが、んー、それは褒め言葉なんだかどうだか。多分、右頬を下にして寝る癖があることと、ごくごく小さい頃母親に「右と左、同じ回数だけ噛むのよ」と言われ、それ以来なにかを口に入れる度に「右で3回左で3回」と頭でカウントしながら咀嚼、そのうち「右」がマイブームになり明確にえこひいきするようになり「右で5回左で2回」てなことをしているヘンコな子供時代を過ごしたことによるのではないかと思っている。ぱっと見デコボコしているわけではないし、口が小さいものだから、口の中が大変なことになっている状況に家族のものが誰も気づいていなかった。学校の検診でも虫歯にはチェックが入ったが咬合にはなにも言及されなかった。中学だったか高校だったか、ある日の晩御飯時「私は顎が斜めになってるからなー」とぽそりと言ったら皆が驚き、実際にほらと歯を剥いて見せたら慌てふためいた。これはイカン、矯正せねば!となり、急遽歯医者に連れて行かれ歯型を取られて検討の結果「こうなっててはもう無理!」と通告を受けた。ああー。

息子たちも遺伝でしょう、それぞれ小児歯科にて将来の歯並びがエライことになるといわれ(長男上下八重歯、次男出っ歯&前が開く)小児矯正を受けさせた。彼らの父親も小学生の頃矯正してたっていうしなぁ。で、今回は私。いつも行く歯医者さんで、この異常な噛み合わせのために上の歯で下の歯茎を噛んでいる、下の歯茎が常に白く変色している状態は良くない、悪くするとガン化する可能性もあり、歯列矯正して当たらないようにした方が良い、といわれた。えー、でも若い頃無理だと言われて諦めたんだけれど。このままでは将来必要になっても入れ歯が作れないとも言われ、あれから40年経ち技術も進んでいるだろうからと、紹介された矯正歯科に行き相談したら、ごく普通にさくさく矯正を始めることに。あれれれれ?不可能じゃないの?そうならもっと若い時にやっておきたかったなー。そうしたら「ある一方向からのみ」じゃなく、全方位で美人になれたかもしれんのにー。ということで齢五十を半ば過ぎて矯正を始めることとなった。

本日は検査の日、歯の全体の型取りを上下各2回ずつ、前歯の噛み合わせのピンポイント型取り、現在の噛み合わせ時の隙ぐあいの型取り、矯正終了時の目標噛み合わせ位置にした場合の現在の隙具合の型取り、耳に支持棒を突っ込んで金属製の器具を組み合わせ頭蓋と顎の位置計測、頬をびろーんとのばして歯の撮影をあっちからこっちから。口腔内に鏡を差し入れ(痛たたた、鏡大き過ぎ、四角いエッジで唇のはたが切れそうなり)歯の裏側の写真をこれまたあちこちから撮影。顔全体の写真を座って各方向から撮影、いやーん、もう少しちゃんとした服きてきたらよかったわー、そしてレントゲンにてこれまた今の噛み合わせでいろんな方向から、終了時の予想噛み合わせ位置でもっていろんな方向からレントゲンにて撮影、途中で撮影してくれてた女性が、しまったしまった、とちょっと慌てる。なんでしょかと思っていたら、やおら防護服を着せられる。えー、かなりの枚数レントゲン撮影してしまったしー。もう繁殖の可能性はゼロだけど、でも被曝は嫌よー。のこり数枚レントゲン撮影して終了。本日のお会計54000円なり。次週歯磨き指導、その二週間後、診断・装着と続く。早ければ一年半、長ければ3年以上は不快感と戦わないといけない日々が始まる。還暦同窓会には矯正装置を外して参加したいもの。虫歯にならないように頑張らんとね。ものぐさな私にメンテ上手に出来るかどうか、勝負の分かれ目はそこかなー。 

東京見物覚書 続き

二日目の朝早めにチェックアウト。江戸川橋駅で降りて椿山荘を目指す。椿山荘の向かいにある東京カテドラル聖マリア大聖堂がお目当て。細い道を椿山荘の案内板を頼りにえっちらおっちら登っていく。昨日の原美術館の付近もリッチな住宅地だったけれど、この辺りもゆっくりした生活がうかがえるお家が多いなぁ。高そうなマンションから幼児をつれ乳母車を押した若いお父さんが出てくる。お散歩ですかー。濃い色のサングラスをしていてもなお、お父さんハンサムさんなのが見てとれる。短パン姿もこなれていてこざっぱり、いやー東京のお父さんはカッチョよろしなぁ。てなことを思いながら追い越し、少し進むと何やら賑やかなグループが横道から入ってきた。言葉の感じではドイツ系かな。金髪美人がくるっと振り向き「カテドラルに行きたいのでーす、こちらでいいのデスカ?」と質問。えーーーーーーっと。たたたたた多分方角的にはあっちの方だと思うんだけどううううー、私フロムオーサカでのっとネイバーフッドで私もそこに行きたくて歩いてるんだけどうううううー、そうだ!こういうことは地元の方にききませう!追いついて来た先ほどのお父さんに丸投げする。「この方達カテドラルに行きたいそうなんですけど」あ、はいはい、とお父さん、いきなり流暢な英語でこのまま行けばすぐ見えてくると一団にご説明。うはー、東京の若いお父さんスペック高!惚れる!

なるほどそこからもうあと数m進むとカテドラルの建物が木々越しに見えてきたのだった。銀色の外壁。弓なりに反って輝いている。丹下健三氏代表作。教会は朝早くから開いているのでお上りさんにはありがたい。本日のミサは8時と10時。8時のミサが終了し、見学がお邪魔じゃなくなるまで椿山荘で家へのお土産を物色したりして時間を潰す。さぁ行って見ましょうか。

入り口までくるりと周り、陽気に明るい外からほの暗く静謐な大空間へ。入り口に聖水、いやいや異教徒がこういうものに触ってはいかんでしょ、その横に建物の維持管理のために浄財を、と寄付箱が置いてある。音が響きすぎ司祭の説教が聞きにくいとか雨漏りがするとか、いろんなモンダイもあったようだけど、とにかくこの物凄い建物はずっとここに良いコンディションであって欲しいわね、うちはお西さん、お賽銭感覚で申し訳ないけれど財布の小銭をかき集めてザクっと投入。と、わぁっ!これが噂の残響音というものか「ジャリィィィリィィンンンンンッッッ………」カテドラル内部隅々に響き渡る小銭投入音!うわぁ、ごめんなさいごめんなさいめっちゃうるさいっす、ここはお札を入れるべきだったんかいなーーーっ   気を取り直して椅子に座らせていただく。正面に大きな十字架、琥珀色の光を背に浮かび上がっている。高い天井のトップライトから光が降りそそぎ、荘厳な空気を醸し出す。今までこんなに威厳をたたえた空間に身を置いたことがなかったのでぼうぅっとする。壇上では次のミサの準備をする教会の人たちが足早に動き回っている。いやぁ、やはり写真で見るだけでは感じることが出来ないものが身を置くことで実感できるなぁ。ひたすら感じ入っていたら突然背後からゾゾーーンッッッと大音響!ミサの準備の一環でパイプオルガンの試し弾きが始まった!うわーー、これはひれ伏す!迫力残響で三割り増し!いやー、来てよかった。10時からのミサに邪魔にならないよう退出。すごかった。キリスト教信者じゃなくても死ぬまでに一度はここに来るべき。この建物の形をどう言ったらわかりやすいのかなぁ、真上から見たら十字架型、と言ってもこの銀色の曲面が羽を広げるような形はイマイチ伝わらないだろうし、何に似てるのか… と頭に浮かんだのが飛騨高山のお土産「さるぼぼ」 手足だけのさるぼぼって例えは、んーー、ごめんなさい、えーっとキリスト教徒の皆様申し訳ない。そんなつもりはないのです、なにかもっとイメージ伝わりやすい例えはないかしらん。

頭を悩ませながらまた椿山荘に戻り、ちょっと贅沢してフロント横のラウンジで朝食。こまごま盛られたお料理やクロワッサンに舌鼓。次の目的地銀座エルメスは11時オープンなのでのんびり過ごす。東京って緑も多いなぁ。シャンデリアが煌めく豪華なしつらえのお手洗いを借りてさぁ銀座に出発。

銀座銀座銀座!前回来た時は資生堂のビルに行き化粧して貰い写真を撮った。別人のように美人になった写真で免許証作ったが、ふはは、これって証明写真としてはどうなんだ、本人確認できるのか。今回はそういうお遊びなしでエルメスのビルのみ。レンゾ・ピアノ設計。ガラスブロックで創られた半透明な箱。ガラスブロック越しに外界と軽やかに繋がっているんだけど、物質の他にセンスという見えないバリアーが張り巡らされているような佇まい。私が持っているエルメス製品といえば、元仲人さんにいただいた渋ーい色合いのスカーフ一枚きり。バッグひとつで年収が飛んでしまいそうな工場労働者には縁のない世界だけれど、まぁ臆せず入りましょう。いらっしゃいませと男性に扉を抑えてもらって入る。すぐに新商品の香水を吹きかけたリボンをどうぞと渡される。あぁー、いつもながらちょっと苦手なエルメスの香りが基調にある。あ、エルメスってわかるよね。お好きな人には堪らん香りだと思うが、やっぱり少し苦手だなー。一階中央に色とりどりの鮮やかなスカーフ。鳥が綺麗な色でたくさん描かれたシリーズに一目惚れ。いいなぁこれ。お金があったら買うー!白地にビビッドな色合いのはっきりした柄ってのが好みなのよね。お顔映りを試されたら?と誘う店員さんにいやいやいやいや、ははは…と後ずさりしつつ店の奥を見たら、なんと!昨日原美術館で見たばかりのニコラビュフ「ポリフィーロの夢」のインスタレーション別作品が展示してある!嬉しくなって「昨日原美術館に行ってきたんですよ!楽しかったです!なんでここに?」 「ニコラビュフは今年のエルメス限定スカーフのデザインを担当しているのです」とのこと。限定スカーフ自体には展覧会の破天荒な元気さは希薄だったけれど、うんうん、昨日の展示も充分おっしゃれーなセンスが充満してたものなー。そのまま奥のエレベーターを使って上階のフォーラムへ。エルメスが後援して工房で作品を作らせた若手美術家のグループ展鑑賞。吹き抜け2階分のガラスブロックから浸み出した光が全方向から溢れ、影がなくなるような不思議な空間。作品の方は、まその、コンセプトはありがちというかなんというか、でも素材がエルメス製の皮革でそこに素晴らしいステッチがかかっていたりして豪華で、んーなんとも判断に困るというか、新鮮な驚きには乏しいけれど、なんか立派っていう。ここでは毎月フランス関連映画の無料上映などもされていて、こりゃ母には堪らん場所だなぁ、東京に住んでたら毎月行くだろうな、と思った次第。

お昼は銀座から少し歩いた場所の高架下パン屋さんでサンドイッチ。こんなに美味しいフルーツサンドは食べたことがありません!ゆっくりしていたらもうそろそろ羽田に行かないとダメな時間に。もっと遅い時間の飛行機にすればよかったな。

飛行機の離陸が遅れてしばらく空港で待ったけれども、晩御飯を作るのに充分余裕を持って帰阪。あぁ楽しかった!また行くぞ、東京!次回は来年夏、なんとしても赤坂迎賓館の参観に当たって見物するのだ!行けたらいいな。

東京見物覚書

阪急系のクレジットカードを使っている。IC定期も兼用しているのでちょこちょこポイントが溜まる。年に一度ポイント交換でもって懸賞に応募するのが楽しみ。以前は「マグロセット」なるものが当たり、赤身・中トロ・トロの短冊を皆で食べ比べて楽しんだ。その次の年はスカだったが、昨年末応募分は「レム秋葉原」の宿泊券が当たった。やたー!調べるとレムは湯船がなくシャワーのみとのこと、諸々考えて梅雨前の5月中旬に東京に遊びに行くことにした。今回はライブ観戦の予定なく、建物をあちこち見て歩くことをテーマに一泊二日。

 

朝9時の伊丹発ANA機で出発、到着少々遅れて10時半ごろ羽田着。よーじ屋空港店で小さいハンドクリーム購入後(前回も買った)、電車で品川まで。まず目指すは原美術館

品川プリンスホテルを横目で見ながら道なりに歩くことしばし、閑静な住宅地に美術館となった原邸がある。渡辺仁設計。11時半頃到着、入り口は今回の展覧会のニコラ ビュフ「ポリフィーロの夢」の最初の作品であるでっかいワンコ的敵のお頭にすっぽり包まれ、まずは悪もんの体内へと入って行く趣向。悪もん退治にすぐに胎内巡り、いや展示室巡りをしたいけれどもはやる気持ちを抑えて、まずはカフェ ダールで腹ごしらえ。

 カフェ ダールは入館した人のみ利用できるところなので空いているかと思いきや、もうすでに土日限定「ガーデンバスケット」は売り切れ、結構なお客さんで席が埋まっている。お庭に面した一列目に案内してくれた。芝生の緑が気持ちいいわー。暑くもなく寒くもなく、絶好のテラス日和。パスタで昼食。磯崎新設計のテラスとのことだけれど、まその、テラスですわねー。お腹も一杯、元気も一杯で、さぁ夢の中の冒険に旅立たねば。なんだかとても愛らしい甲冑、おしゃれーなインスタレーション、そしてええっと「拡張現実の技術を用いたインタラクティブなマルチメディアインスタレーション」でもって、自ら当事者となってラスボスと戦ってまいりました。はははは、もうおばちゃんトシなもんだから素早くからだが反応しないわけ。敵の光線が当たる当たる。でもまぁなんとか最後はブシュワッとソードで斬り倒してやっつけてやりましたぜ。変な汗かいたわー。(青い日記帳さんの素晴らしい紹介記事 http://bluediary2.jugem.jp/?eid=3584 )  原美術館の常設展示のトイレの森村さんやらデジタル数字なんかも見学、あちこち邸内を歩き回る。階段を丸く囲む小さなガラスブロックが美しい空間を作り出す。売店でクジラの爪ブラシ購入後、次の目的地、国立西洋美術館へ移動。

上野。うぉー、一杯の人!まずはジャック・カロの展覧会。銅版画を専攻していた関係でジャック・カロはもともと大好き、だけどこの言うたらマイナーなヒトで一つの展覧会してお客さんくるんかなーとか心配してみる。まぁ、自分とこで持ってるもんばっかの展示だから大丈夫なのかな、とか。かねてより所持していたみずゑジャックカロ特集号とほとんど内容同じ、展示室最初に虫眼鏡が置いてあり、それで細部までじっくり鑑賞してもらうという趣向が楽しい。また、これはDNPの技術なのかな?細部を大きく映し出せるモニターあり、スクロールして気になるところを好き勝手に確かめられる。うはー、面白いなぁ。カロだけじゃもたんということで、平野啓一郎氏セレクトによる所蔵品の企画展も抱き合わせ。これが思わぬ儲けもの、美味しい趣向にて所蔵品の有名どころを年代をクロスして鑑賞できて楽しかった。

2時15分になったのでロビーに移動、今日のハイライト、ボランティアによるル・コルビュジエの美術館の建築解説ツアー参加申し込みをしないと!30分から整理券配布、もうすでに参加希望者らしい人が何人か。30分の配布時間にはかなりの列ができていた。無事整理券を貰い、売店で時間を潰して3時より建築探検ツアー開始!本日がボランティア解説デビューとのおじさまの案内でぐるりと内外を見て回る。柱だわー、ずどんと天地を突き通す柱。モデュロールの関係で一部低い天井になっている部分が妙に心地いい。それにしても、226センチが住宅の天井にちょうど良い高さって、それってヨーロッパの人には低すぎやしませんか、コルビュジエさん?155センチない私でも、もうちょっと欲しいかも。

さて、ホテルにチェックイン、ということで秋葉原に移動。レム秋葉原は駅のほん側。秋葉原の街を見物する間も無く入り口到着。無料券を差し出して部屋へ。狭い部屋にでっかいベッド。そしてマッサージチェアでもうぎゅうぎゅう。マッサージチェアに座ってみるも、フットレストがデスクに当たってリクライニング出来ないよ。でも、全体の印象はモダンで綺麗だし確かにベッドは寝心地良さそう、こんなに駅に近いのに静かで、荷物が大きくなければ機能的に充分、うん、いいんじゃないでしょうか。なにしろタダだし。フロントでもらった甘い紅茶を入れて一息つく。

むっくり起き出して、次は辰野金吾の東京駅の見物に。広いでかい!東京駅は取り潰すか否かで揉め、結局こうして復原された。大阪の中之島公会堂も撮り潰すか否かで揉め、今は手を入れられ美しくなった。潰しちゃいかんでしょ、こういったものを。高いドームを見上げ、つくづく思う。夕闇迫り、駅がライトアップの光に包まれて行く。駅の向かいの新しそうなビルに屋上庭園のようなもの発見、道を渡って行ってみる。狭いドアから出ると、屋上庭園はカメラを構えた人で賑わっている。斜め上から眺める東京駅。風が頬に気持ちいい。

晩御飯は上野広小路の洋食屋さんへ。一皿の半分サイズがあるのが面白い。うまいことできてるなぁ。いろんなものが食べたいものね。タンシチューは柔らかく、ホワイトアスパラは美味でございました。

宿に帰ってシャワーを浴びテレビをつけたら、佐野元春氏と漫画家さんがボブ・ディランの足跡をたどる旅をしつつ対談する番組をやっていた。NYのダイナー、レコーディングした田舎の家。番組が終わってテレビを消したら、すとんと眠ってしまった。

LIVE配信

夕方、山崎まさよし氏の武道館イベントの生中継をPCで観る。所属事務所の同僚と一緒のオーケストラとのコラボイベント。ちょいと前まで私は山崎氏の熱心なファンで、随分と彼の音楽活動には楽しませてもらった。ツアーを追っかけて地方をまわるということはしなかったが、関西でのLIVEには1回は参加した。雑誌の掲載記事には目を通し表紙を飾った号は購入し、テレビ放送は録画しラジオは録音して聞いた。ファンが交流できるようなHPを作って、自分のLIVE感想も載せたりしていた。

ソレが今はどう。はっと気が付いたら、資料として残しておきたかったのでずいぶん前に更新は止めていたがずっと存続させていたHPは、料金の払い込みを忘れて消滅、昨年のLIVEツアーはスタンディングだったので大阪公演もパス、アルバムは買ったがLIVEDVDはパス。買ったアルバムも曲を覚えるほどには聞き込んでいない有様。

んー、やっぱりここ数年顕著になってきた、母音と子音の二段発射ロケット方式の歌い方が、どうにも私には辛くって長く聞いていられなくなってしまったのよね。

 


山崎まさよし 【Live】 STAND BY ME

この人が歌う洋楽は大好き!英語だと二段発射ロケット方式の歌い方にならないっていうのもあるけど、でもこの人上手いんだもの、GOODリズムが体の中に巡ってて、ギターもその波動をちゃんと表現できる程上手くて、歌声も躍動して。ミュージシャンとして尊敬しているし、人間的にも好ましい。愛嬌があるし不遜じゃないし斜に構えないし、とてもいい人だと思う。

今日は久しぶりに「動く山崎氏」をPC画面で見ることが出来て嬉しかったけれども、やっぱりあの歌い方はキビシーなぁ。以前ならヘッドフォンして正座して対峙したと思うんだけど、今は家事をしながらの流し聞きが自分にとっての心地よい距離かな。ホールツアーがあったらまた行きたいですな。

タイルクラッシャー

「カラータイル」というゲームにはまっている。http://www.gamesaien.com/game/color_tiles/ 暇さえあればやっている。同色のタイルの交点をクリックするとそのタイルが消えていくという単純なゲーム。これがねー、イイのよ。クリックしてヒットしたら「こりん!」という音とともにタイルが散っていく。この見事な飛び散り具合と「こりん!ぽりん!」という音がたまらない。

初めのうちは80点くらいしか出せなかったが、今や常時100点越えるスコア、最高は172点かな?息子らはラクラク170点くらいは出すし、なんと200点満点をたたき出す猛者もいる。ここいらへんは反射神経の鈍さがネックだな。確実に消すやり方としてシステマチックに上から潰していくという方法もあるけれど、目の赴くまま行き当たりばったりで消していくのが面白い。狙った2個以外に気付かなかった遠い場所のペアも同時にぽいんと飛んでいくこともあり、そういうのが楽しい。いやぁ、もう、ずっとやってたいわー。いろんなことが滞るわー。こりんぽりんこりん!

ハヤブサ競作

はやぶさ 遙かなる帰還」鑑賞。先行作品竹内結子の出てた「はやぶさHYABUSA」はすでに鑑賞済み。「はやぶさHAYABUSA」がどうにもしっくり来なかったので、今回期待していたのだが、んー、どうかなー、まその「はやぶさHAYABUSA」よりは好きかな?程度でございました。

はやぶさHAYABUSA」は、まずあの竹内結子の演じた「自分が周りにどう見えているのかは全く気にしない研究者ちょっとドジ」登場人物がどうにもこうにも受け入れられなくて、ひどいよなー、この若い研究員の紋切り型戯画化は腹立つなー、と思いながら観ていた。脚本は、その竹内さん演じる若い職員が、子どもに説明したり絵本を書いたりと手を替え品を替え一所懸命「HAYABUSAミッション」の説明をしてくれて、それがハヤブサのことをよく知らない人には必要なんだろうけれど、どうしても話の流れがぶちぶち切れてしまうような印象があった。その点「はやぶさ 遙かなる帰還」のほうは、唐突な説明は新聞記者の記事制作を利用して語られるくらいなので、そんなに異物感はないがその分ハヤブサのことを知らない人には、どんなに革新的なコトが行われていてどんな予定で飛んでいてなにがそんなにタイヘンなことなのかさっぱり理解できないだろう。

それにしても、ハヤブサの映画についてあれこれ書くのは気が楽だな、ネタバレとか心配しなくてもいいものな。

はやぶさ 遙かなる帰還」は「男達の熱意」をメインに見せる映画だったわけで、そうなると今度はその「男達のぶつかり合い」がうっとおしい。ハヤブサからの通信が途絶してしまう「宇宙の迷子」状態から再びハヤブサからの電波をキャッチするくだり、ずっとハヤブサからの通信を長期間探し続ける「男達のあきらめない心」がそうした「奇跡」を生み出したんだ感動!という脚本だ。あるいはイオンエンジンの不調をそれぞれ別々の部分を組み合わせることで乗り切るあたりも、「男達の激論の末チャレンジ決定!」みたいな感動に話の筋を持って行っていたが。だからソコが違うのよねー。ハヤブサで私が感動したのは、打ち上げる前から色々なことを想定してもしもの時に備えた工夫を方々に仕込んでいたこと。youtubeでの有名な「こんなこともあろうかと動画」にまとめられていたような事柄に、細やかな配慮というか想像力というかからくりを考えるチカラが感じられて、ここらへんが「日本人が計画して作る宇宙探査機」だなぁ!と感動したのだ。最初のそうした仕込みがあってこその危機回避だったわけで、なにもそうした仕込みが無かったなら、研究者の意欲や熱意だけあってもどうにもならなかったろう。そこらへんがざっくり無いのが(あっても「熱意・諦めない気持ち」を表現するために使われる程度)、このハヤブサミッションを描く上で勿体ないなぁと思ってしまう点だ。研究者の熱意を表現するなら、そうした仕込み段階における創意工夫をきちっと描いて欲しかったなぁ。

さて最後に公開される藤原竜也主演の「おかえり、ハヤブサ」は、鑑賞予定無し。いつも行く整骨院は浜村淳氏がパーソナリティをしているAMラジオが流れており、丁度私がいく時間で映画の紹介をする。浜村淳氏の「映画紹介」は殆ど筋全部と言っていいほどくわしーくくわしーく科白入りで順を追って解説してくれちゃったりするのが芸風、背中を揉まれながら聞いていたが、んー、浜村氏の話芸を持ってしても面白そうとは思えなかった。んで、殆どの映画を褒めて褒めて褒めまくる浜村氏が解説の途中で「この設定は、無かった方がいいんと違うかなぁと思いました」とかって苦言を呈するわけですよ。こらーアカンでしょー。

夜空に輝きながら散っていくハヤブサの映像、何回観ても胸に迫る。幾多の困難を工夫しながら乗り越えて任務を遂行するごくごく小さい探査機の話は、その最後、自己犠牲という形で完結する。あぁこれ以上日本人好みのストーリーがございましょうか。好きだからこそ、自分だけのハヤブサストーリーを追い求めてしまい、点が辛くなるのかも知れないな。

 

 

命名モンダイ

パートさんお孫さん誕生でおめでとうございます。ご子息はひとり息子さん、お孫さんは待望の第二子にして初の女の子!洋裁が得意なパートさん、これからしこたまお孫ちゃんの衣類を制作されることだろう。生まれる前、もう性別は分かっているとのことでお名前を聞いたのだが、息子さん夫婦案があまりお気に召さないご様子だった。今話題の「DQNネーム」をつけようとしてるのか?と思いきや、聞いてみたらごく普通の名前。「だってそれってなんか古くさいやん?もっと今風のカワイイのにしたら?って言ってるんやけど」えー、読みにくい奇抜なのは本人がナンギしますよ、良いじゃないですか息子さん夫婦の案で。言葉を選んで進言したが、なにか不服そう。親が決めるのが一番、外野がアレコレ言ってのちのちにしこりを残したら本人合わせて三方不幸になる。それこそ、口を出すのはヘンテコリンな名前をつけようとしている時位でいいのではないか。私も息子達の命名のとき、舅姑が希望の名前を出してくる行為そのものがイヤだったものな。それがどんなに素敵な名前であろうとも。

難しいところだけどね。テレビで子どもの名前が表示されたりすると「それはないやろー」と突っ込みたくなる名前がぞろぞろでてくる。無理矢理な当て字だったり、外国名を漢字に直したり。それと、コレは自分の感覚なのだが、なんかこう、「昔の名前で出ています」みたいな名前も、ちょっとなーと思う。クラス中そんな名前ばっかりだったら平気になるんかしら。「子どもは親の植民地」って言葉があるけど、ヘンテコリンな命名をするのって、最初に子どもに行う「迫害」みたいな気がする。

生まれるのとは反対に、死ぬと戒名をつけられる。お亡くなりになったお嫁さんがキリスト教、ご主人がお東さん、というお葬式に出た社長が言うのには、宗教関係ないお葬式って良い!そうだ。無宗教の葬儀で、神父も坊さんも無し当然読経も無し。故人を偲んで花を手向け、出棺を見送る。お骨はどうするのだろう、そろっと先祖代々のお墓に納めるのだろうか?で、戒名はどうしたのだろう?キリスト教にも戒名の様なモノはあるのかしら。

戒名を自分でつけようという主旨の本がいくつかあって売れているらしい。戒名を授けられるのは相当の資格?があるお寺のお坊さんだけ、という話を聞く。戒名をつけるにはいろいろ勘案しないといけないことがあるので、相場が高い!と言ってはいけない、なんて事も聞く。でも、高いよねー。そして戒名料以外にもなんかイヤなのが、戒名って自分が死んでしまってからのことだから、他人が自分の人生を勝手に総括し、それに沿った意味の漢字を使って決めるんでしょう?もの凄く洞察力がある人がつけたなら自分にとってシックリくる概念に基づいてつけられるかもしれないが、自分が知っている自分と他人に見せてきた自分は違ってあたりまえだから、「私の人生の総括はその字かよ!ヤメテー!」みたいなことに絶対なると思うのよね。んー。かといって、勝手に自分で気に入った漢字で戒名つけたら、アッチの世の中で、ほぉらまたDQN戒名がやってきたぞーって笑われそうな気もするし。んんーー。