anemone

ぼんやりしたり、うっかりしたり。

R.I.P

YMOの音楽活動が話題になりだした頃、大学専攻科生だった。私はあのピコピコ音は薄っぺらくて嫌いだったし、人民服をモチーフにしたものを衣装にするセンスも嫌いだった。ちょっとひねった人民服とアジア人テクノユニットの組み合わせって安直すぎん?と思っていた。スネークマンショーからの流れの東京のカルチャーよねー。音楽を生み出すツールの新しさっていう点では、音楽をやっている人たちは刮目したでしょうけれど、聴くばっかりの側からするとふーん、みたいな感じだったな。ライディーン?これがイイのん?♪ターリーラー タリラタッタリラッテッテーってメロディーがぼーんとあって伴奏がチャクチャク鳴ってて、すっごい歌謡曲っぽいなーと思った。ま、一言で言うとYMOは好みではなかった。

指導教官が東京芸大院生時代に坂本龍一氏と一緒に音楽活動をしていた方だった。制作室で軽音の男の子とYMOについて話してたら小耳に挟んだ先生が、え、YMO知ってるの?有名?友だちがやり始めたんだよねっておっしゃり、驚いた。坂本龍一ってどんな人ですか?んー、大学でみんなで楽しく喋ってるとするじゃない?そしたら通りがかりにテーブルをガッシャンてひっくり返していったりするんだよ。えーー、ホンマですかー、アブナい奴ですやん!それとね、彼のお母さんが四文字熟語好きなんだよ。何かの用事で彼のところに電話してお母さんが出ると、会話に一つは必ず四文字熟語入れてくるのね。僕らも次はどんな四文字熟語がくるか楽しみにしててね。で、そのことを坂本にいうと本気で怒る。ふふふっ 

坂本龍一氏はYMOの中では見映えしたので当時アイドル的人気もあった。じゃぁYMOアイドルソングを作ってみようということで「君に胸キュン」ができた。そこそこ売れた。TVの中のYMOは音楽で東京的お笑いをやってみた素人のお坊ちゃん達、ぎこちないのも笑いのポイントですよ、だったな。僕ら音楽でこんなに凄いのにシロート漫才やっちゃうんですよっ、それを曖昧な笑顔で見てる視聴者ってどうよのスノッブな世界。YMOはPOPで変なことやるテクノの実験場。

ま、でもあれだけ若者の間でテクノが流行ったのはYMOの出現ゆえだろう。テクノをめぐるカルチャーは新しかった。YMO好きじゃない私ですら、髪型はもみあげのないテクノカットしてたもんなー。観念的で難解そうな方向に行きがちなテクノミュージックを噛み砕いて柔らかくして聴きやすいPOPソングにしてしまったYMO。色々遊び倒して散開したのちは坂本氏はPOPからは離れていってしまった。そして今、YMOは細野さんだけになってしまった。

 

スネークマンショーYMO、なんかその流れでこの曲もあったような。日本語ラップの創始曲。