anemone

ぼんやりしたり、うっかりしたり。

我家の流儀

家を出て初めて、それまで当然と思っていた行動様式やら食生活が、どうやら実家独特のものらしいと理解する事がある。私の場合、食後の食器の洗い方がそれ。実家では食器一個一個順に洗っていた。一式引いてきてさてこれらを洗うとなったら、まず手近な皿を手に取り流水でさっと濡らす、洗剤を含ませたスポンジで泡立ててキュキュ洗う、次にスポンジを横に置いてその泡だらけの皿を流水ですすぐ、水切りカゴへ置く。で、次の皿へと同じ作業を繰り返す。母も祖母もそうしたやり方で食器を洗っていたので、当然私もそうして洗っていた。

外でもそうして洗っていたら周りに大変驚かれ、家事を全くした事がないお嬢様としてレッテル貼られてしまった。むむむ、そうなのか、世間はどうしているやらな。どうやら洗い桶を活用しているようだ。洗い桶に水を溜めそこに洗剤を振り入れ洗剤液を作り、そこに皿を突っ込んでその液の中で洗う方式、洗剤液に突っ込めるだけ皿や茶碗を突っ込みそこから任意に皿等を引き出してスポンジで洗う方式、スポンジで洗ってからどんどん洗い桶の水のなかに突っ込んでいく方式等微妙に差異はあれど、まずは全部の皿を洗剤で洗ってしまい、そこから全部の皿をすすいで行く、というのが通常の洗い物のやり方であると観察した。ほうほうほう。なるほど、全部をまずスポンジ使って泡あわにする方が、手順としてはスッキリするな。実家のやり方ではこまめにスポンジを置かないといけないのが煩わしかったのだ。水流しっぱなしだし。そうした世間の常識を知った後で今はどうしているかというと、引いた食器を湯を溜めた洗い桶に入れる、そこから引き出してスポンジで洗って横に置いていく、みんな洗ったら洗い桶も洗って湯を溜め直しそこに洗剤で洗った食器群をごそっと入れて、そこから一個一個引き出して流水ですすぐ、水切りカゴへ入れていく、というやり方。ま、こんなモンでしょ。

息子一家が遊びに来たりすると、気を遣ってくれて食事の後お嫁さんが食器を洗ってくれたりする。彼女が洗っているところ横で見てて、ふと実家では変な洗い方だったなー、と思い出しそんな話をしてたら、母が寄ってきて言う。そうなのよ、あれはおばあちゃんが潔癖というか超綺麗好きだったから、洗い桶使って洗剤液を使いまわしたりするのを嫌がったからなのよ。ひとつひとつ順番に洗うようにと言われてね、一枚お皿洗うごとに横に立ったおばあちゃんがさっと取って布巾で拭きあげて。へー、それが真相やったんやー。そだ、待ち受けられてさっと皿とって拭かれるのも急かされているようでイヤだったなぁ。ふーん、おばあちゃんの潔癖症所以。そういうことかぁ。

お正月の雑煮もそうだった。関西特有の白味噌の丸餅の雑煮だったが、他所と違っていたのが具。餅のほかはカマボコしか入っていない。真っ白は愛想ないので最後に青のりをばらっと。これが「お雑煮」だと思っていたけど、ウチだけやったのね、他家ではゴボウやら人参やら里芋やら色々な具が入ってますやん。何でウチだけ蒲鉾オンリーなん?って聞いてみたら、いく代か前の当主が野菜嫌いだったから、野菜はみんな省かれて、それからこうなったとのこと。ええ加減な起源やなー。そうかそうか、そんなんでいいのなら、ということで、お正月のお雑煮は関西でありながらお澄ましベースの鴨雑煮。理由は私が好きだから。なので息子らもお正月が近づくと鴨雑煮を楽しみにするようになった。こうして我が家の雑煮は鴨雑煮であるという伝統ができつつある。ふっふっふ。「何でウチだけ白味噌でなくてお澄ましの鴨雑煮なの?」「何代か前のワガママお祖母さんが鴨雑煮の方がいい!って変えちゃったんだって」てな会話がなされるわけですな。

ま、ならわしやら風習なんて、案外イイカゲンなことでオリジンから変化してるかもしれないので、居心地悪かったらアレンジしていくのも良いんじゃない?という話。