激しい揺れで目が覚めた。三十年前。2DKに一家四人暮らしていた。揺れに対する設置方向の関係だろうか、本棚が3本あり本や雑誌が詰まっていたが倒れることなく、寝ている頭部分に置いてた本棚の上から、ビデオテープの透明ケースが一つポコっと落ちてきただけだった。揺れは長かった。いっしょに寝ていた子どもらに掛け布団をかけ抱き寄せようとしたが、左腕に旦那さんがしがみついていたのでままならなかった。
テレビで宮田アナが神戸で地震ですと告げていた。が、家の中は何も倒れず壊れずだったので、いつも通り子どもを幼稚園に行かせるべくパンやバナナなどを食べさせたが、肝心の幼稚園があるのかないのか電話が繋がらない。駅まで様子を見に行ったら(電車通園だったもんで)電車は止まっていた。そらそーだ、今から思うとね。それからは家でずっとテレビを見ていた。横倒しの阪神高速、黒い煙をあげ続ける神戸の街、村山総理の眉。
ちょうどその時マンションの買い替え手続きを済ませ、新しい方のリフォームを始めたところだった。これがどちらかでも建物に大きなダメージがあったなら住み替えは無理だった。また、ありがたいことにフローリング等の資材をすでに運び込んでいたので、遅れ遅れながらもリフォームできた。そこまで進んでいなかったら、資材が到底手に入らなかっただろう。その代わり完成後の支払いのはずが、リフォーム業者さんに「申し訳ないがうちらを信用していただいて、すぐに全額欲しい」と言われ工面した。リフォームが出来上がり引っ越す段になり、以前からお願いしていた引っ越し屋さんに見積もりに来てもらった。大手ではなくママ友クチコミ(あの会社のあの人が良かった)で決めた引っ越し屋さんは神戸に会社があった。見積もりにきてくれた人は、親戚を地震で亡くしたと話してくれた。そんな時にごめんなさいと言うと、仕事があって稼げる事はありがたいですので、と言われた。事前に運び込まれたパッキンのロゴはバラバラで、神戸のいろいろな引っ越し屋さんからかき集めた風だった。
実家は浴室の壁が落ち、駐車場の屋根は隣からの瓦で穴が開いた。姑は倒れた本棚で顔を打ち足を怪我した。身内に死者は出なかった。校区に大きな公園がありそこのグラウンドに仮設住宅が立った。そこから何人も児童が小学校に通ってきていた。もう30年経つのか。あと30年の間に南海トラフ地震が起こる確率は80%。明日起こるかもしれない、一週間後に起こるかもしれない。私が生きているうちにもう一度あれが起こる可能性大、なのか。
キャロル キング "I Feel The Earth Move" アルバム収録バージョンよりも後年のライブバージョンの方が好き、でも「Tapestry」のジャケットは好みなので貼っておこう。猫っちのそれ以上近寄ったらシャーするぞ、みたいな風情がよろしい。