anemone

ぼんやりしたり、うっかりしたり。

たこ焼き追想

「大阪の家庭には必ずたこ焼き器がある」というのは誰がいつから言い出したのか。その言説を初めて聴いたとき、我が家にはたこ焼き器は無かった。家でたこ焼きを作るという発想が全くなかった。だって、たこ焼きって作るんメンドクサそうじゃないですか!器具がいるし。たこ焼きというものは、あ、食べたいなっと思い立ったら、財布掴んでつっかけ履いて近所に買いに行くモンでしょう。私が小さい頃は公設市場の横の路地にあったたこ焼き屋さんに行って買った。へぎで作った舟に入れて、それを緑の薄い紙で巻いてくれたが、ご本尊は今の「たこ焼き」とは別物と言ってもよいようなものだったな。

まずサイズ。一つが小さい。今良くあるサイズの三分の二くらいか。飛び切り熱いそれらはとてもやわやわしており球形を保っておれない。ゆるい小麦粉液がようやく固まったような状況で、でろでろだからこそ、焼くためにひっくり返すには「プロの技」が必要だった訳ですな。出来上がって走って家に帰る間に舟のなかのたこ焼きたちはひったりと前後左右ひっついてしまう。兄と一舟を半分ずつという時は、まずついている爪楊枝でもって一個一個の境界を判定し分離切断していかなければならない。中に入っているのは蛸と紅ショウガのみ。かかっているのはソースと青のりと鰹粉。その上にマヨネーズがデフォルトでかかるようになったのはかなり最近の様な気がする。

たこ焼き器を買ったのは、息子らが幼稚園児になった頃。「家でたこ焼きが食べたい」というよりも「たこ焼きを作る」ということに主眼が置かれて購入された。ま、なんといいますか、スーパーで特売されてるたこ焼き器見て、くるくる焼いたら楽しいかなー君たち喜ぶかなーって思ったわけで。

しかし、物心ついてふと気が付くと家でたこ焼きお母さんが焼いてて、という状況は、それまで「外で買ってくる物」だったあのたこ焼きがなんとお家でできるとはっ!という感動はそこには無いわけで、「家でたこ焼き焼く」という行為に特別感まるでなし。お昼たこ焼き?あっそ、てなもん。なんかなー、スペシャル感のない「たこ焼き」ならば、やっぱり家で焼かなくても近所で買ってきた方がめんどくさくないし美味しいんじゃないかなー。