母とおやつのすはまだんごを食べながら、ふと思い出し聞いてみた。ねぇ、なんで田舎の家には温室があったのかな?(温室の謎 - anemone)すると予想外の答え「温室なんかあったかな?」えええーーっ、あったっしょ、洋館の真向かいに!門への小道よりも少し土が盛ってあってその上に白い桟のガラス張りの小さな温室!「…覚えがないなぁ…」無くなってからは蕗が植ってた場所に!なんで建てたのか知りたかったんだけどなー。洋館とセットで温室建てるのが当時の流行りだったってのが私の仮説なんだけど。「んー、温室なんて覚えてないけど、そんならおばあちゃんが花育てるの好きだったから作ったんじゃない?」いやービニールハウスみたいなんじゃなくて木造の理科室みたいな温室だったんだけどなー。存在を覚えてないとはなー。むむむ…
そうだ、別の話なんだけど、私が小さい頃って駅とかに傷痍軍人いてたよね。「ふん、いてたいてた」日本中にいてはって、大阪だったら阪急百貨店のガードのとことか地下街に。なぜそんな話になったかと言うと、昨日のこのやり取り。年配の繰り言に長々と付き合ってくださって、ぼうはていさんありがとうございます。
早朝の地下鉄で私立のガキが「戦争」という手遊びしててそこら辺は公立のガキと変わらないんだなと
— ぼうはてい (@fujinamizu) 2025年2月21日
ぐんかんちんぼつはーれつ!と掛け声をかけてするジャンケン遊びを、令和の子どもたちもしているということにとっても驚いた。60年前の私が小さかった頃も男の子はよくそうやって遊んでいた。まだその頃は、傷痍軍人がお金を求めて繁華な街角におり私もよく目にしていた。第二次世界大戦は終わったとはいえ身近だったのだ。手の先がない、足が一本ない、いろんな人が白い装束を着て、ある人は黙ったまま、ある人は歌を歌い、通行人からお金をもらっていた。こちらのブログをちょっとお借りしよう。そうそうそう、この画像、私にとっての傷痍軍人は、歌う傷痍軍人よりもこの座って俯いているイメージですね。側を通るのが怖かった。
軍艦沈没破裂!まさに戦争を念頭に置いたワードチョイス。それを戦争は教科書とテレビの中だけの小学生がいまだに使って遊んでいるんだ。グミチョコパイナップルの時もあるだろうけれど。私は小学生の頃は「ぼかんすい」という鬼ごっこが好きだった。2つのチームに分かれてする鬼ごっこ。各チーム母艦は一人、戦艦は数人、水兵はその他大勢。母艦は戦艦を捕まえることができ、水兵にタッチされたらゲームオーバー。戦艦は水兵を捕まえられる。水兵は戦艦に捕まらないようにしつつスキをついて母艦にタッチすることを試みる。これも戦争あってのワードチョイス。「ぼかんすいらい」という遊びが本筋で、それは水兵ではなく水雷、母艦は人ではなく場所のようだ。私が遊んでいた母艦水はローカルルールだったのかもしれない。江戸時代はチャンバラで遊んだように、第二次世界大戦後はこういった遊びを子ども達はしていたわけで、それが連綿と現在の小学生にまで繋がっている。すごいなぁ。
「傷痍軍人のこと、今の今までずっと忘れていたわ」まぁなぁ、もうあの人らも皆死んでしまいはったでしょうね。「戦争ねぇ。父は中国で早くに戦死したけど、だからって別に生活が厳しく変わったわけでもなく白いご飯を普通に食べてたし、田舎だから空襲もなかった。戦争が怖いものだとはあまり思わなかった」まぁねー、都市部と違ってピンとこないわねぇ。「夜、名古屋のあたりが空襲だと米軍が爆弾を落とすんだけど、それがランダムにボロボロ落ちるんじゃなくて、等間隔にパーっと散っていくん。まるで花火みたいでね、綺麗だなーって思って見てた。それから街が燃える炎が赤ーく空を染めてね」おやおやおや、リアルタイムで戦争を体験した人でもいろんな感じ方があるという…「不謹慎でしょ、でも当時はそう思って見てた。戦争に負けてから他の人の体験談とか見聞きして、こりゃ私は戦争について何も言うまいと思ったわ」そそそそれは賢明な判断でありましたね… 田舎に稀な母の実家の洋館は戦後米軍に接収されたようだ。ポツンとこんな田舎に宿舎を与えられ、その軍人さんもさぞ当惑したことだろう。


世の中オンラインカジノで遊んだ遊ばないと問題が大きくなる側、遠くアリゾナで賭ける馬にロマンを呼び覚まされている藤浪選手。明日登板ですね!期待してますよー!