anemone

ぼんやりしたり、うっかりしたり。

lost house

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実家を潰してしまう日がやってきた。結婚するまで住んだ家。築90年の古家。床上浸水、阪神大震災、北大阪を襲った地震や台風でも損壊し、都度手を入れて住み続けてきたが、道路拡張のため立ち退きになった。

最初にもらった個室は、便所の隣の女中部屋だった2畳の和室。半間の押し入れがついていた。父親が日曜大工で、押し入れ上段をベッドとして利用できるように拡張するアタッチメントを作成、就寝時だけ押し入れを開け、アタッチメントを組み立て面積を広げて上半身は外、下半身は押し入れに突っ込む形で寝ていた。でないと学習机と整理箪笥を置いていたので2畳では布団敷く場所がなかったのね。

次は、隣の3畳の書斎を個室として使っていた兄が増築した2階に行ったので、元々の2畳プラス3畳プラス半間ずつの押し入れX2を一つの部屋に合体した6畳の部屋が自室になった。そういう成り立ちの部屋なので矩形ではなく、3畳と3畳をL字型にくっつけた形の部屋。物入れがないと不便なのでL字の角部分を半間の押し入れとし、その上半分を2方向からそれぞれ洋服ダンスと本棚として使えるように工夫した造作にしてもらった。こんな形の部屋は多分日本でここだけだな。自然とデスクスペースとベッドスペースに分かれ、変な形ながら使いやすい部屋だったと思う。なんなら最初からティーンエイジの個室として提案したいぞ。今住んでいるマンションの自室も長方形に小さい台形が引っ付いたような形をしている。窓のある台形部分は、言わば使いようのない場所なのだが、そこだけレンガ様のエコカラットを貼ったら陰影が出て、自己満足かもしれないが、まぁその、いい感じである。変形部屋好きは若い頃の部屋の影響かも。

玄関の隣はでっかい革のソファセットが空間のほとんどを占めた応接間。タイルで組んだニセ暖炉があり、そうそう、昭和って時代は暖炉っぽいものを応接間につけるのが流行ったんですよ。くぼみにガスストーブ置いたりしてね。なんかちょっと恥ずかしい。

掛け軸がぶら下がり仏壇のあった和室、茶の間、台所に祖母の部屋、両親の部屋。無くなってしまう。この世から。過ごした日々の記憶。それもそのうち、薄れていくのかな。祖母の記憶、父の記憶のように。